小津安二郎と人形

先日、川崎市民ミュージアムで開催中の与勇輝展に行って参りました。与勇輝といえば先学期、大学のレポートで小津安二郎と人形を絡めた小論を書き、そこで与氏の小津人形について少し触れたことがあります。知人からリクエストもあったので、今回はちょっとした余興でそれを載せてみることにします(小津に関してはニワカもいいところなので、書き手の不勉強故に勘に障るところなどあっても流して頂けると幸いです・・・)。


小津安二郎と人形」



現在、日本映画の三大巨匠といえば、小津安二郎溝口健二成瀬巳喜男あるいは黒澤明の三人ないし四人と言われるが、仮にもし、この中で人形が一番似合う監督は誰か、という問いを立てるとすれば、これは小津安二郎に軍配を上げて差し支えないように思われる。
黒澤明と人形との相性の悪さは敢えて説明するまでもないとして1、たしかに溝口健二の耽美、成瀬巳喜男の情感はそれぞれ人形的なるものとある程度通低してはいる。成瀬映画、溝口映画にインスピレーションを得て作られた人形作品も探せば見つかるかもしれない。とはいえ、このふたりも小津安二郎と人形との際立った相性の良さにはとても敵わない。

たとえば、東京国立近代美術館工芸館の人形カタログの解説は、竹久夢二小津安二郎についての言及からはじまっている。大正ロマンの代表選手・竹久夢二は創作人形においても大きな業績を残しており、夢二が率いた「どんたく社」が優れた作家を輩出したことや、なにより僅かに現存する作品がすばらしく魅力的なものであるということで、こちらにはすんなり納得がいくのだが、普通ならここで小津安二郎が取り上げられているのにやや違和感を覚えるところだろう。なぜ小津なのか。

カタログで言及されている小津安二郎の映画は「その夜の妻」。戦前の初期作である。部屋にはアメリカ映画のポスターがところ狭しと貼られ、カメラはパンを連続し、切り返しにおける登場人物の目線がちゃんと合っている、後期代表作とは似ても似つかない代物。着物姿の奥さんが二丁拳銃を構える姿はまさに大正ロマン、人形だって出てきます、と執筆者は言い、この作品自体をひとつのマリオネット・ドラマに見立てている2。
とはいえ、それでもまだ若干の疑問は残る。人形が登場する大正ロマン風の映画なら他にもある3。登場する人形にせよ、センスこそ良いものの実際にはここで書かれているほどには作品の主題になっていないようにも見える。が、不思議なことに、一見やや強引に、こじつけのように並べられているにも関わらず、<小津と人形>という取り合わせは考えれば考えるほどしっくりと馴染んでくるのである。
この小論では、単に大正ロマンの名残として初期作品に登場し、すぐに消えていったモチーフのひとつ4としてではなく、もっと小津作品の根幹に関わる特権的なモチーフとして人形を語れないか、詳細に見ていければと思う。

*今、<小津安二郎と人形>というような組み合わせを口にすると、「そうした見方は<小津と俳句>、<小津と禅>、といった紋切り型のペアを少しひねっただけで、結局、画面を虚心坦懐に観ることから遠ざかってしまうのだ」5と批判を受けそうだが、俳句や禅の場合と人形が決定的に異なるのは、これから詳述するように、小津を鑑賞するとき単に表面的な比喩としてのみ人形が用いられるのではなく、「小津映画の画面を注視することが人形とは何かについて考えるのとほぼ同じ体験になってしまう」という微妙な、しかし見逃せない相互作用が生じる点にある。80年代の時点で既に四方田犬彦氏が<小津安二郎と死者>(死者もまた、人形と極めて親縁性のあるモチーフ)について論じ、90年代に吉田喜重が小津映画における「死者の眼」について触れているとおり、小津映画の中に非・人間的なるものを見るアプローチは、ある意味で小津作品を観る際におけるひとつの典型とさえ言えるものかもしれない6。



(図1)

先程、溝口健二成瀬巳喜男の映画にインスピレーションを得た人形と口にしたが、実際に小津安二郎とその映画に着想を得て作品を作っている人形作家は自分の知る限りではふたりいる。石塚公昭与勇輝である。前者は監督自身を模した人形で、後者は前者同様小津本人とその映画の登場人物たちを人形化したもの(図1)、共に布人形である。与勇輝を特集した雑誌「太陽」には、たとえば映画プロデューサー山内静夫によるこんな記述がある。

 2006年四月の「パリ・バカラ美術館開催記念展 与勇輝 人形芸術の世界」で、初めて与さんの小津映画へのオマージュ作品に接した私は、大袈裟でなく、小津映画の世界そのものがそこにあるかのように思えて言葉を失った。
 小津映画に魅せられて、小津映画と同じような撮影方法で撮った若手監督がいた。だがそこからは小津映画の香りも情感も何一つ伝わってはこなかった。(……)小津映画の場合、どの登場人物も、台詞のイントネーション、動きのすべてを小津監督の言うとおりにさせられる。それでいてどの人物も、小津という色が、例えば笠智衆さんなら笠さんという俳優としての色を通り抜けて、平山周吉(「東京物語」の役名)という人間の実像の中に現れてくる。まるで魔術のように。
 与勇輝さんが創る小津作品の中の人物も私には同じように映る。7

小津映画の俳優の人形性、というのは実際よく口にされることであり、蓮實重彦も『監督 小津安二郎』において、その俳優たちがあたかも自動人形のように動くことについて触れている8。わざわざ文献にあたらずとも、(とりわけ)後期代表作における、常に感情を抑制し表情を固定する傾向のある主要登場人物たちが自動人形じみているのは明らかだともいえる。
ヴィム・ヴェンダースのドキュメンタリー「東京画」において、小津映画の顔である俳優の笠智衆は、引用にもあるように自分が完全に小津の言いなりになって何も考えずに動いていた、と述懐している9。だが、例は枚挙にいとまがないとはいえ、こうした事柄を表面的に拾うだけではやはり片手落ちになってしまう。俳優を完璧にコントロールしたがるタイプの監督は大勢おり、もちろんその全員が人形と親和性のある作品を作っている訳ではないからだ。引用にも示唆されているように、小津と人形との相性のよさを、単に小津映画の登場人物には血が通っておらず、人間が描かれていないのだ、という、特に初期作品に対してよくなされる紋切り型から短絡的にまとめてしまうことは避けなければならない。その画面の中で起こっている事態はもう少しばかり細やかで、入り組んでいる。

たとえば小津の場合、笠智衆に「君の演技より、構図の方が大事なんだよ」と口にしたこと10がそのまま作品の持つ人形性を証明しているというより、むしろ、この手の台詞を幾度となく口にされたであろう笠智衆が、「東京画」やエッセイにおいて懐かしくその事態を回想し、いかにも幸福そうに敬意を込めてエピソードを語っている、という小津の「人形遣いぶり」の巧みさ、そして笠智衆の優れたマリオネットぶり(これはもちろん完全に褒め言葉)にこそその人形性なるものが表れているということが出来るのではないか。「笠智衆だって当時は嫌だったが今となっては懐かしいのだ」という見方も可能だとはいえ、残された資料を見る限りやはりそのように受け取るのは難しい11。「東京画」からは、小津の発言のひとつひとつをどこか宗教的といっていい幸福と共に受け入れていたであろう氏の姿が浮かび上がってくる。こうした印象は勿論個々人で意見の割れるところだとは思うが、自分としては、強い我を持っている「喰えない」キャラクターであるからこそ、逆に完璧に人形に徹しきれるような、笠智衆のほとんど特権的と言ってよい佇まいに感動させられる。

ここで、一種の人形化願望小説としてよく取り上げられるポーリーヌ・レアージュ『Oの物語』の「奴隷状態の幸福」といった言葉を引くのはその語感の暴力性からやや語弊がありそうだが12、事態としてはそれに似通ったことが生じていて、つまり、「マリオネットの幸福」こそが小津映画に独特の幸福感と付随する違和感(とりわけ後者に関しては「気味悪さ」と絡めて後に詳述する)、つまり人形性を生んでいるのではないか。小津は「人間が描けない」のではなく、「人形を描いている」のだとは言えないだろうか。



俳優の人形性以外にも、小津安二郎と人形にはまだまだ多くのテーマ的な共通点が見られる。ざっと考えただけでも、1構図と反復 2父 3視線の三点が挙げられる。これらは小津を語る上では基本中の基本とされる事柄で、もはや語り尽くされている感はあるものの、それでも人形と絡めることでまた少し異なる見方が出来る。

一番単純なのは1の構図で、小津特有のローポジションの固定カメラで撮られた日本家屋の空間が、ふすまや障子、縁側やドアといった諸々で区切られ、画面の中にいくつもの枠を作り出している。通常の映画は観客にフレームを意識させないが、小津の場合は逆で、映画がフレーム内で生じている虚構だということを常に意識させるように多重の枠を画面内に用意する。これがある種の演劇的空間つまり、人形たちが動き回るマリオネット劇場ということになる。劇場のなかで横に「並べられる」(「並ぶ」ことは小津映画を語る上で頻繁に取り上げられるテーマだが、ここではあえてより人形的な「並べられる」の受身形を採用する)俳優たちは、その設定上の職業がなんであれ、みな等価値な存在のように見える。人形劇において、観客から見て王様の人形と乞食の人形との間にさしてヒエラルキーが発生しないようにである13。名高い「父ありき」や「浮草物語」の渓流釣りのシーンでの感動は、川を前にして釣竿を手に並べられている父子の上下関係が、釣竿を投げるふたりの機械的反復の効果も加わり、ユートピア的に解消されることに多くを負っている。四方田犬彦は『映像の召喚』のなかで、小津映画における様々な俳優の動作の反復を列挙し、それらを死体の身体と結びつけるが14、行為の類似反復が死体よりむしろ自動人形に特有のそれであることは、死体と自動人形の性質を現実的に比較して考えてみれば明らかだろう。例えば同著の中の以下のような文章は、そのまま「生者」を「人間」に、「死者」を「人形」に置き換えて読むことが出来る。

すべて呼び出されるものは死者を連想させるのだった。固定した仰角画面の中に導かれ、とりたてて派手な動きを見せることもなく、ただ空虚な自動化された言葉だけを互いに反響させていく男や女たち。硬直した身振りと無表情な正面像を特徴とする彼らに、感情移入する内面を求めたり、その視線の位置を見定めようとする努力は、ほとんどが徒労に終わるのだった。それらは生者を前にしてのみ行使しうる力に過ぎなかったのだ。したがって、小津安二郎は、つねに生者の側に立っている同業者から非難された(「たいへんいやらしく、うそですね」吉田喜重)彼の作品では、登場人物はどこか別の世界から突然に白昼の現在に召集を受け、当惑しながら不自然な査問に応じているといったふうだった。15

次に、2の父のテーマについて語る前に、いささか唐突ではあるが、小津と比較する対象として取り上げるドイツのシュルレアリスト・人形作家ハンス・ベルメールについて少しだけ説明を加えておく。ベルメールは自作の球体関節人形(体の各部位を球体のパーツでつないだ人形)の写真作品で知られる作家で、日本ではこのジャンルの祖としていまなお強い影響力を持っている。ベルメールの場合、通常の人形とは違い、「四本の足のパーツと腹部の球体関節をつないで構成された頭部を持たない人形」(図2)といったように、意図的に体の各部を欠損・増殖・並び替えるのが特徴である。ナチスの台頭するドイツを逃れフランスに亡命したベルメールの作品は、ファシズム(≒健康な肉体を持ち、強い父になることの賛美)への抵抗としての退嬰的行為、という意味合いにおいて高度な政治性を持っていた。また、ベルメールの人形写真はレイプ趣味やネクロフィリアシリアルキラー性、ミソジニーなどとよく絡めて語られてきた16。成人男性の真剣な人形遊びには強い父になることへの否定という要素が多分に含まれるが、ベルメールの作品を見ればわかる通り、「強い父」を遠まわしに否定する(=直接対決する以外の方法で父を否定する)過程で作家はある種のグロテスクを引き受ける羽目になる。強い父を否定しようというそれ自体は政治的に正しい行為を婉曲なものにしていくと、綺麗な「正しさ」とはまた異なる別のゆがみが表れる。そしてこうした「ゆがみ」こそ、小津安二郎の映画にもはっきりと見られる特徴である。

(図2)

戦前の作品に顕著なとおり、小津映画において父はずっと弱い存在、ほとんど去勢されたような存在として描かれる。「生れてはみたけれど」や「東京の合唱」における、上司に頭の上がらず子供たちからは反抗される父、同じく「東京の合唱」や「一人息子」の、地方での教職を辞して上京し、貧しい料理屋になる教師。ただ、これらの作品での父や教師は、あからさまに弱者であることで観客にどこか奇妙な印象を与えこそすれ、グロテスクなものではなかった。

婉曲や迂回がグロテスクを生むのであれば、やはり小津作品の気味悪さは戦後代表作、笠智衆の演じる「父」に極まると言えるだろう。「父ありき」で既に老人を演じていた笠智衆の父役の言動は、戦時中の映画ということもあり、すべて「強い父」のそれを表面的に模倣したものなのだが、これまで述べてきたような俳優の人形性もあり、まったく説得力がない。父は実際には取り立てて信念もなくただ流されているに過ぎない17のに、話のつじつまを合わせるためにもっともらしい建前を並べる。父の威厳は息子が異常に従順なことによって支えられている。これは要するに隠れた反戦映画と読めるのだが、小津の場合、通常体制批判に付きまとうはずの攻撃性が、笠智衆の天使性(弱々しさが魅力として表れ、攻撃されることなく周囲と調和しているのが、現実ではありえないようなユートピア的な空間を生んでいる、くらいの意)にすりかわっていることに注意を払う必要がある。笠智衆の父の言動はほぼすべて紋切り型であり、それはとりわけ後期作品において周囲に対するデリカシーのなさという形で表れるのだが、小津映画の場合、このことが何故か逆に笠智衆の存在感を純化する方向に向かう18。

戦後になり、もっと普通の強い父を登場させてもよさそうなものなのに、小津はますますこの傾向を推し進める。一見威厳があるかのように振舞う父親が、その実は内容空疎な言動を繰り返し、何故か周囲はそれをまがりなりにも価値の高いものとして受け止める、という後期代表作のスタイルが確立する。「東京物語」での有名な、妻を亡くした直後に笠智衆が「今日も暑うなるぞ」とつぶやくシーンの衝撃と違和感は、父が天気の話にかこつけて張り裂けるほどの悲しみを抑えているから観客の胸を打つのだというよりも、形骸である父の特に意味がない「弱い」台詞が、にも関わらずなんとなく「強い」ものとして通ってしまう、という今述べたスタイルが、妻の死の直後というシビアな状況下でも実践され過激化していることによるように思う。
(実際、「今日も暑うなるぞ」という台詞は他の小津映画、例えば「晩春」でも何気なく登場するのだが、この反復は状況の差による台詞にこめられた意味の重さのズレというより、状況があまりに異なるにも関わらず両者がほとんど同じもののように映ることで人を慄かせる。もっとざっくり言えば、おそろしく不謹慎なのである)。

また、「晩春」で笠智衆原節子が同衾する、近親相姦を匂わせて有名なシーンのグロテスクは、これまで書いてきた文脈で考えてみれば、月光の降り注ぐ室内=劇場で笠智衆原節子のマリオネット的な性質が生々しいかたちで浮き彫りになっていることに拠るのだといえる。つまり、父娘が娘の結婚前に同衾し、それが性的描写のない小津映画においては異例だからグロテスクなのではなく、露骨に近親相姦の雰囲気を匂わせているにもかかわらず、絶対にふたりがセックスをしないことが観客に伝わってくるからこそ(人形だから)、ひとは気持ちをかき乱され、薄気味悪さを感じるのである。
蓮實重彦はこのシーンで唐突に映し出される壺(=オブジェ)と父の類似性を指摘しており19、また、ここでは原節子の顔があからさまに能面に見えるようフェティッシュに撮られてもいる。壺は登場人物の人形性=モノ性を際立たせていて、こうしたオブジェ(薬缶や石灯籠など、円形をしているか何らかの形で曲線を持っている)が話の流れを切断する形で登場人物たちとほぼ対等の存在であるかのように映し出される状況は、「晩春」のそれほど有名なものは少ないにせよ、小津映画であればお馴染みのものである。牽強付会を承知で言えば、これらの映像(円形をしたオブジェの映るショットと登場人物の登場するショット)がほとんどヒエラルキーを持たずに並置される状況は、ハンス・ベルメールの人形において、体の各部が分断され、球体関節(=人体には本来存在しない球形のオブジェ)で繋がれて序列なく組み替えられていることとその心理においてあながち無関係ではないかもしれない20。グロテスクな面ばかりを強調してしまったが、もちろん人形というものがおしなべてそうであるように、ここでの薄気味悪さはそのまま観客の快楽に反転しうるし、だからこそ名場面たりうると言える。

最後に3の視線について。小津映画の、イマジナリーラインを無視した切り返しショットに関して、俳優の視線が合わないことは昔から議論の種になっており、いまだに結論は出ていない。有名どころでは、日本間の美しさを活かすためである21とか、既存の映画文法の切り返しという制度を脱構築する試みである22とか言われている。しかし、球体関節人形の愛好家であれば、これはさして解決に手間取らない類の謎である。何故なら、球体関節人形を意識的に見るようになった人間が、誰しも最初に気づき、驚かされるのは、人形というものがそう易々とは自分たちと視線をあわせてくれない遠い存在なのだ、というあまりに些細な、しかし決定的な事実だからである23。

小津安二郎の映画、とりわけその中〜後期の作品において、登場人物たちが視線を合わせることはない。人々は互いに相手を見据えはしない。これはそのまま、「父ありき」の父が建前を並べ息子の内面については知ろうとしないことや、「東京物語」において殆どの場面がセットで撮られ、タイトルに冠されている「東京」自体は観光バスの中から書き割りのようにしか描き出されず、都市が持っている生々しい特質のようなものは触知できないこととぴったり対応関係にある。小津の映画において視線の先は色々なレベルで表面しかない空虚であり、そして、表面しかない空虚が人の形を取ったものこそが、まさに今まで述べてきたとおり、人形というモチーフなのである。


* * *


(1)補足すると、黒沢明作品では「夢」で人形が、「生きる」「素晴らしき日曜日」でぬいぐるみが比較的鍵となるモチーフとして登場するように、決して人形が画面に出てこない訳ではない。が、やはり黒沢明の骨太なイメージはやはり人形の柔らかさとはいまひとつそぐわないと言えるのではないか。

(2)「「その夜の妻」にはいくつもの人形が出てくる。この映画は、病気の子どもの治療のために銀行強盗を犯す父と、その妻、娘の物語である。東京の郊外らしき自宅の一室は、壁にポスター(ハリウッドの本物らしく見える)が張りめぐらされた徹底した外国語の空間である。そこに洋風の人形が巧みに配される。(……)徹底してダンディーでモダンな舞台装置なのだが、ただひとつ、母が丸髷に着物を着ているのがまぎれもなく日本なのである。この女優(……)は、着物姿に不意にソフト帽を被らされたり、二丁拳銃を構えたり、アンバランスに美しい。(……)「その夜の妻」ではいくつかの人形が順に何度も何度も小津特有の静止画面の中に描かれ、物言わぬ彼らがモダニズムをいっそう盛り上げている。それが子どもの世界を強く印象づけ、あたかも本当の主人公が誰であるかを暗示しているかのようである。それはまさに、マリオネット・ドラマなのである」「「表現の人形史」竹久夢二から現代へ」金子賢治(『工芸館名品集‐人形』所収,2010年, 東京国立近代美術館)6−8p

小津安二郎 DVD-BOX 第四集

小津安二郎 DVD-BOX 第四集

(「その夜の妻」の収録されているDVDBOX。自分は大学の映像資料室で閲覧したが、高い・・・)

(3)同時代であれば、それこそ成瀬巳喜男も「夜ごとの夢」「生さぬ仲」などの作品の中で大正ロマンの名残に近い文脈で人形を用いている。にもかかわらず、このカタログで小津の「その夜の妻」の方が優先的に取り上げられるのは、(2)の記述からもわかるように、「その夜の妻」においては舞台装置自体が極度に人工的であり、これが徹底して人工物であるところの人形というモチーフと重なっていることに由来するだろう。(とはいえ、成瀬巳喜男には他にも「まごころ」など、人形に大きく焦点を当てた傑作が存在する)

(4)小津安二郎の映画において、人形が直接画面上に登場する作品は、確認した限り「若き日―学生ロマンス」「朗かに歩め」「その夜の妻」の三本であり、すべて戦前の初期作品だが、前二者において人形の毀損シーンが登場することは指摘しておいて良いように思う。暴力シーンのほとんどない小津映画において人形の毀損のイメージはやや例外的だと言えるし、E・T・A・ホフマンの「砂男」における自動人形の落下や、ルイス・ブニュエル監督「アルチバルド・デラクスルの犯罪的人生」における人形焼却シーンのように、「独身者」と括られる芸術家の作品の中で人形の毀損は頻出するモチーフだからである。本論は、独身者的な作家の中でも更に特異な一例としての小津安二郎監督について論じるものである(作品が「独身者の機械」的かどうかは、実際に作者が独身かどうかとはそこまで関係がないように思えるが、一応小津安二郎が生涯独身を通したことも付け加えておく)。
また、本論の展開に即した形で言えば、小津安二郎は直接人形を画面に映すことからはじめ、次第にその映像の文法・演出レベルにまで人形的なるものを浸透させていったと言えるのではないか。

(5)<小津ともののあはれ>、<小津と禅>、<小津と俳句>といった組み合わせがいかに小津の画面を見ることから遠ざかってしまうのかは、蓮實重彦『監督 小津安二郎 増補決定版』(2003年,筑摩書房)の中で詳細に論じられている。

(6)四方田犬彦『映像の召喚』(1983年,青土社),吉田喜重小津安二郎の反映画』(1998年、岩波書店)。
また、前田英樹は『小津安二郎の家―持続と浸透』(1993年,書肆山田)で小津映画の視線が「カメラ=機械の目」そのものであり、映画の映像がまるで人間の視覚と同じであるように感じられる錯覚・詐術に対し小津が厳密な形で反抗していたことを詳細に論じている。個人的な見解だが、「機械の視線」をより情緒的・文学的に言い表したものが「死者の視線」であり、モノでありながら人を模した存在でもある「人形の視線」というものがもしあれば、それはこの中間あたりに位置するだろう。

(7)『与勇輝(別冊太陽スペシャル)』(2011年,平凡社)134−135p

(8)蓮實重彦,同掲書,99p
 
(9)ヴィム・ヴェンダース「東京画」(1998年,東北新社
 小津映画の多くを手がけたカメラマン厚田雄春もまた、本作の中で自分はカメラマンというより監督の配置したカメラに何かがないように見張るカメラ番だった、とやはり考えようによっては理不尽な内容を親愛の情を露わに語っているのが印象的である。

(10)笠智衆『大船日記-小津安二郎先生の思い出』(2007年,朝日新聞社)80p
 引用箇所の後、「考えてみれば、俳優にとっては誠に無礼な言葉ですが、先生が仰有ると、説得力がある。それに、先生の言葉には、なんとはなしにユーモアがあって、腹を立てる気にはなれんのです」という言葉が続くことに注意。笠智衆に限らず、小津安二郎の関係者インタビューを読んでいて気づかされるのは、俳優やスタッフが小津の細かい指示に厳密に従わされていたにも関わらず、その多くが反撥を匂わせることなく小津への好意・親しみを強く感じさせる発言を残していることである。

(11)「東京画」における、「多くの俳優の中から小津監督に選ばれたことが、人生最大の幸せだった。でなければ、自分は全く違う人生を送っていたと思う。何者でもなかった自分が小津監督によって笠智衆になった」「余計なことを考えずに、小津監督の指示に一句一句従うことが演技力の有無より大切だった」「監督は自分より僅かに一歳上だが教師と生徒。親父と息子。精神的に大きな存在、先生だった」といった過剰に「人形的」な笠智衆の発言は、小津と笠智衆の関係が同性でありながらピグマリオニズムに肉薄するものだったことさえ示唆しているだろう。

(12)ポーリーヌ・レアージュ『Oの物語』(高遠弘美訳,2009年,学習研究社
 誤解を招きかねない箇所だが、レアージュが、自ら奴隷的な立場となり法悦を得るヒロインのOを蔑む目線をまったく持たないように、ここでの文章は笠智衆を侮蔑しようというものでは一切ない。例えば(11)で挙げたようないくつかの言葉はジャン・ポーランによる本書の序文の「他者の意思に自らをゆだね(恋する者たちや神秘主義者がそうであるように)、ついには自分自身の快楽や個人的な損得やコンプレックスから解き放たれる自分を自覚する行為にはある種の偉大さや喜びがつきまとうものだ」(7p)といった言葉にある程度まで一致している。高原英理は『ゴシック・ハート』(2004年,講談社)の中で、人形化(=奴隷化)願望が、自意識なるものが本来的に持たざるを得ない汚濁に対する嫌悪感から来るものだと論じているが、この点はまさに笠智衆が「余計なことを考えずに、小津監督の指示に一句一句従うことが演技力の有無より大切だった」と言って自意識を消し去るときに発生する独特の透明な幸福感を説明していると言えるだろう。

(13)たとえば、「生れてはみたけれど」や「東京の合唱」、「青春の夢いまいづこ」等、多くの初期作品においては、話の都合上、権力者として社長が登場し、社長とサラリーマンたちとの上下関係は絶対的なものであるけれど、社長のキャラクターがコミカルかつ書き割り的なものにデフォルメされているため、リアリズムからは離れ、現実味に乏しい。要するに「偉い」側の人間が威厳を持たないのである。この点に関しては、本稿で次に論じている小津作品における「強い父の不在」という点とも一致する。逆に、「生れてはみたけれど」「母を恋はずや」の子どものクローズアップを見ればわかるとおり、ローポジション・ローアングルで取られた映像は、子どもの視点から見た映像というより、むしろ子どもにある種の威厳をまとわせるような映像に見える(極めて低い位置から画面一杯に子どもを見上げると、あたかも子どもが尊敬すべき対象であるかのように巨大に見える)。

(14)「書き出していけば枚挙に暇がないのだが、われわれはかかる行為の類似反復がいかにして形成されてきたかをうかがい知ることが出来る。それは初期作品においては、群をなす大学生たちの様式化された集団行動としてまず登場する。『若き日』や『東京の合唱』における手拍子、『落第はしたけれど』の校庭に集う大学生たちが友情と連帯の証左として肩を組みつつ演じるタップダンス。やがて集団行動は継起的な反復(『生れてはみたけれど』の子どもたちが行う仮死の儀式)と同一画面内での共時的な共感(『浮草物語』『父ありき』における、父と息子の川釣り、その自動車のワイパーに似た手の反復)へと発展し、後期の作品では単に行為が模倣されるばかりか、同一の構図、同一のポーズ、同一の服装をしたふたりの人物が登場し、酒を酌み交わしあうという奇怪な光景(『秋日和』)すら出現する。そこでは個々の作品までもが類似した物語を持ち、しかも登場人物に与えられる固有名詞はほとんど同一なのだ。晩年の小津は、もはやひとつの作品を他の作品から分割する境界線の存在を信じず、互いに境の関係にある複数のフィルムがすべからく同一の作品を構成してしまうような絶対的な地点に接近していたのである」四方田犬彦,同掲書,68p 

この文章は、小津映画における登場人物たちが如何に「死者」だったか、時系列を追って説明するものだが、これはそのまま、小津安二郎が実在の人間を用いてある種の人形劇をやろうとしていたこと、作品を追うごとにそのテーマが深まり、過激化していくにつれ、最終的に小津安二郎作品の総体がひとつの人形劇と化していったことを書いたもの、とも読める。

(15)四方田犬彦,同掲書,66p
無論、小津映画の登場人物を画一的に死者=人形に置き換えてしまうことには危険がある。例えば「東京物語」の場合、原節子笠智衆がいくらか人形めいて映るのはそこまで説明する必要のない事柄だと思うが、杉村春子の生き生きとしたキャラクターがどれくらい人形的なのかは怪しい。ところどころ矛盾を抱えつつも、小津映画が「かなりの程度まで」人形的であることが、作品を鑑賞する際にどのような読みを付け加えられるのか、が本論の目指した点である。
また、発表当時批評的に振るわなかった作品としてよく名前のあがる「早春」「東京暮色」、そしてとりわけ作家自身が失敗作とみなしたらしい「風の中の牝鶏」等の作品が、総じてメロドラマであるのは、人形的な性質を持った登場人物に派手な心理的葛藤を演技させた場合、人間と人形とがそれぞれ持っている性質の齟齬が過度に前景化するからだろう。『国際シンポジウム 小津安二郎』(2004年,朝日新聞社)でホラー映画の名手・黒沢清監督が「風の中の牝鶏」の登場人物をみな死体だと(こちらは肯定的に)指摘しているのはまさにこの問題と密接に繋がってくる。

(16)澁澤龍彦『少女コレクション序説』(1985年,中央公論新社),ハンス・ベルメール『イマージュの解剖学』(種村季弘、瀧口修三訳 1975年,河出書房新社)等。ベルメールの伝記的内容は後者から。

(17)ここで父が「何に」流されているのか考えてみたとき、周囲の環境の変化に流されている、というよりむしろ、映画のプロットを決める際の小津安二郎(及び脚本家・野田高悟)の不可解な妄執に流されている、と考えた方が適切に思える。たとえば「父ありき」の場合、職を辞して父が東京に向かうのは、物語的には教え子がボート転覆で事故死したことの責任を取ったためということになっている。しかし、蓮見重彦が『監督 小津安二郎』で小津作品の中から「現在の職を辞して(何故か)東京に向かう父あるいは教師」という構造のやや執拗な反復を取り出してみせたように、小津映画においてなぜ複数の作品で特定のモチーフが不自然に繰り返し登場するのかを考えだすと、それは容易に説明できないものになってしまう。

(18)たとえば「父ありき」の場合、毎回事情は異なるものの、父と息子のやりとりはすべて前者が後者を傷つける形で終わるが、そのことに関して父が責められる視線というものは映画内にはいかなる意味でも存在しない。笠智衆の老け役の度重なる起用からも端的に見て取れるように、小津映画における「父」は年齢という括りからどこか自由な存在であり(その意味でも天使的と言える)、そのデリカシーのなさは無垢と紙一重である。目の前にいる相手の内面に踏み込んでいくような視線を持たず、徹底して表面上にとどまるそのまなざしの質は、やはり純度の点では透明なのであり、人が「純粋」と呼ぶものにどこか近似している。

(19)蓮実重彦, 同掲書.247−251p

(20)こうしたオブジェとしては、「東京の女」における薬缶、「父ありき」における石灯篭、初期作品群においてとりわけ顕著で後期になってもたびたび登場する(置き)時計などがある。また、「彼岸花」における一切の説明なしに(ほとんどアニメーションのように)シーンごとに位置を変える薬缶などもこの応用例と言える。また、ここでベルメールを持ち出すことでより明瞭に見えてくるのは、やはり「強い父」の場合と同様、小津がその画面上から色々なレベルでヒエラルキーを消去することに腐心していたことである。

(21)小津安二郎『僕はトウフ屋だからトウフしか作らない』(2010年,日本図書センター)56p

(22)蓮実重彦,同掲書,129-136p

(23)たとえば、小津安二郎映画において床に置かれたカメラの視点が「子どもの視線」だというのはひとつの有力な解釈だが、「東京画」によれば多くの場合、実際のカメラ位置は子どもの視線より更に低い位置にあり、これはその高さだけ考えれば直立している市松人形の視点なのだと言うことも可能である。このとき、カメラ位置が市松人形のそれと重なること自体に厳密さを求めればそれは眉唾になってしまう(端的に言って、撮るショット毎にカメラの高さは異なる)が、小津のカメラが「死者の眼」=「ひとならざるものの視線」を持っているという旧来の文脈でこの類似について考えるとき、小津映画が持つ人形のまなざし、という発想はそこまで的外れなものにはならないのではないかと思う。
(6)で小津の映画が徹底して人の眼ではなくカメラの眼に忠実であることを意識していたという前田英樹の解釈を取り上げたが、これが四方田・吉田には「死者の眼」と同じだったように、小津の映像とは、もし人形に視線があれば世界はどのように見えるのかに追った実験であるとも読めるのである。