夜の皇帝

 夜の皇帝が砂原を旅する人々のために星の雨を降らして、金の路を作りました。その真中に夜の黒い泉を湧かして孤独な人々を癒してやりました。すると大勢の人がやって来て星の雨をかき集め、泉のまわりに柵をして、水を飲む人からお金を取りました。そのくせ得体の知れない黒い水には種々の噂が絶えませんでした。
 夜の皇帝はこんな意地の悪い人々を憎んで、泉を涸らしてしまいました。金の路にはさそりがはびこるようになりました。
 旅人からお金を取った人々は大層困って「何という意地の悪い王さまだろう」と、夜の皇帝を怨みました。
 夜の皇帝は言いました。
「私はお前たちのためにこの路をこしらえたのではない。寂しさのためにこしらえたのだ」

夢野久作「森の神」の翻案)

コープスブライド(民話)

英語のサイトから訳出した「ティム・バートンのコープスブライド」の霊感源となったと言われる民話。ガセかもしれないが、自分としてはよくわからないディテールやくどい言い回し、超展開も含めてけっこう気に入っているので載せた。ここのところ忙しいので訳は雑だが、ちょこちょこ直していくつもり。



***



かつて、あるロシアの村に若い男が住んでいた。男は近く結婚することになっており、友人と共に花嫁となる相手の住む村へ行く準備をしていた。自分の村からは歩いて二日ほどの道のりである。

最初の晩、ふたりの男は川のほとりで野宿をすることに決めた。そのとき、これから結婚する方の若い男は、地面から指の骨のように見える奇妙な棒が突き出ているのを見つけた。彼と友人は悪ふざけを開始し、男は金の結婚指輪をポケットから取り出し、その奇妙な棒にはめた。そして、婚礼の踊りをはじめ、棒のまわりを三度回っている間、ユダヤの結婚の歌を歌い、婚姻の秘蹟をまるごと暗誦した。その間、彼とその友人は笑い転げていた。

お楽しみが突如終わりを迎えたのは、地面がごろごろと音を立てて鳴り、足の下で震えはじめたときのことだった。棒があった場所がぱっくりと開け、ひどく汚れた屍体、生きている屍体が現れた。彼女は花嫁の姿をしていたが、今やそれは皮膚の断片によってくっ付き、白く破れた絹のウェディングドレスを未だ纏っている骸骨以上のものではなかった。虫とくもの巣がビーズの胴着とぼろのヴェールに絡みついていた。
「あなたは婚礼の踊りを行い、結婚の誓いを宣言し、わたしに指輪をはめました。いまや私たちは夫婦です。花嫁としての権利を要求します」

屍体の花嫁の言葉に恐怖で震え上がり、ふたりの若い男は花嫁が結婚を待っている村に逃げこんだ。彼らはまっすぐにラビの下へ行き、息つく間もなくたずねた。
「ラビ、とても大事な質問があります。もし何かの偶然で森を歩いていて、たまたま長い指の骨みたいにみえる棒が地面から突き出しているのを見て、そこに金の指輪をはめて婚礼の踊りをして結婚の誓いを宣言したら、これは本当の結婚になってしまうのでしょうか?」

ひどく困惑して、ラビは訊いた。
「そんな状況があるものだろうか」
「いえいえ、もちろんありませんよ。単なる仮定の話です」
思慮深げに長いひげをなで、ラビは言った。
「考えさせてくれ」
ちょうどそのとき突風がドアを開けて吹き込み、死体の花嫁が歩いて入ってきた。
「私は自分の夫としてその男に権利を主張します。なぜなら指に結婚指輪をはめ、厳粛な結婚の誓いをしたのですから」
彼女は骨の指を新郎に向かって振り、かたかた鳴らしながらそう要求した。

「これは大変困ったことになった。他のラビに相談せんと」ラビは言った。すぐに周辺の村から全てのラビが集められた。ふたりの若い男が決断を不安げに待つあいだ、彼らは会議を始めた。屍体の花嫁は足で地面を軽く叩きながらポーチで待っていた。
「私、夫との初夜を祝いたいわ」

暖かい夏の日だったにも関わらず、このぞっとするような言葉が若い男を総毛だたせた。ラビが話し込んでいる間に、本物の人間の花嫁が到着し、騒ぎの一部始終を知りたがった。婚約者が事態を説明すると、彼女はしくしく泣き始めた。「人生おしまいよ。夢も希望もないわ。もう結婚しない、家庭も作らない」

そのとき、ラビが出てきて尋ねた。「お前は本当に指に金の指輪をはめ、その周りを三回まわり、結婚の誓いをはじめから全部したのかい」この時まで遠くの隅で縮こまっていたふたりの若い男はうなずいた。

ひどく深刻な表情でラビはふたたび話し合いに戻った。若い花嫁は苦い涙を流し、一方で屍体の花嫁は今や長いこと待たされた初夜への期待でさも満足げにしていた。少し間をおいて、ラビたちはいかめしく現れ、席に着き、言った。
「お前は死体の花嫁の指に結婚指輪をはめ、結婚の誓いを唱えながらそのまわりを踊って三周したのだから、これは適切な婚礼の儀式だとわれわれは決定する。とはいえ、死者は生者に権利をもつことはない」

四隅から吐息とざわめきが聞こえてきた。とりわけ若い花嫁は安心した。屍体の花嫁は、しかし、うなり声を上げた。
「ああ、私の一生の最後のチャンスは去ってしまった。もう夢が叶うことはない。永久に失われてしまった」そして彼女は床に崩れ落ちた。それは痛ましい光景だった。ぼろのウェディングガウンの中に骨の山が散らばっていた。生もなく。

屍体の花嫁への同情に打たれて、若い花嫁はひざをつき、古い骨をかきあつめ、注意深くちぎれた絹の美しい服を整え、自分の方に近づけた。半ば歌うように、半ばつぶやくように、あたかも泣く子をあやすように口にした。「心配いらない。私はあなたの夢を生き、望みを生きる。あなたのためにあなたの子供をつくる、たくさんこどもを作ったら、私のこどもたちとそのこどもたちが、ちゃんと愛され私たちを忘れないのを知って、あなたは安心して休めるでしょう」

彼女はそっと屍体の花嫁の目を閉じ、やさしくその壊れやすい骸を腕にかかえ、ゆっくりと慎重な歩みで川のほとりへ降り、浅い墓を掘ってそこへ横たえた。胸の骨に手の骨が交差するようにして、指輪をはめた一方の手にもう一方を重ね、ウェディングガウンを折りたたんだ。そして彼女は囁いた。
「安心して休んでね、私はあなたの夢を生きる。心配しないで、忘れないから」

屍体の花嫁は新しい墓で穏やかに幸福そうに見えた。あたかも彼女の望みが若い花嫁によって叶えられるのを知っているかのように。そして彼女は浅い墓の中でゆっくりと死体の花嫁を覆い、ぼろになったウェディングガウンを覆い、全身に土をかぶせた。墓の周りに野生の花と石を供えた。

それから若い花嫁は彼女の婚約者のところに戻り、とても厳粛な婚礼の儀式のなかで結婚した。彼らはともに幸福な歳月を歩んだ。そして彼らの子供たち、孫たち、ひ孫たちは皆、いつも屍体の花嫁の話を聞いた。屍体の花嫁は忘れられなかった。それは母親が教えた知恵と情け深い心についても同様である。

小津安二郎と人形

先日、川崎市民ミュージアムで開催中の与勇輝展に行って参りました。与勇輝といえば先学期、大学のレポートで小津安二郎と人形を絡めた小論を書き、そこで与氏の小津人形について少し触れたことがあります。知人からリクエストもあったので、今回はちょっとした余興でそれを載せてみることにします(小津に関してはニワカもいいところなので、書き手の不勉強故に勘に障るところなどあっても流して頂けると幸いです・・・)。


小津安二郎と人形」



現在、日本映画の三大巨匠といえば、小津安二郎溝口健二成瀬巳喜男あるいは黒澤明の三人ないし四人と言われるが、仮にもし、この中で人形が一番似合う監督は誰か、という問いを立てるとすれば、これは小津安二郎に軍配を上げて差し支えないように思われる。
黒澤明と人形との相性の悪さは敢えて説明するまでもないとして1、たしかに溝口健二の耽美、成瀬巳喜男の情感はそれぞれ人形的なるものとある程度通低してはいる。成瀬映画、溝口映画にインスピレーションを得て作られた人形作品も探せば見つかるかもしれない。とはいえ、このふたりも小津安二郎と人形との際立った相性の良さにはとても敵わない。

たとえば、東京国立近代美術館工芸館の人形カタログの解説は、竹久夢二小津安二郎についての言及からはじまっている。大正ロマンの代表選手・竹久夢二は創作人形においても大きな業績を残しており、夢二が率いた「どんたく社」が優れた作家を輩出したことや、なにより僅かに現存する作品がすばらしく魅力的なものであるということで、こちらにはすんなり納得がいくのだが、普通ならここで小津安二郎が取り上げられているのにやや違和感を覚えるところだろう。なぜ小津なのか。

カタログで言及されている小津安二郎の映画は「その夜の妻」。戦前の初期作である。部屋にはアメリカ映画のポスターがところ狭しと貼られ、カメラはパンを連続し、切り返しにおける登場人物の目線がちゃんと合っている、後期代表作とは似ても似つかない代物。着物姿の奥さんが二丁拳銃を構える姿はまさに大正ロマン、人形だって出てきます、と執筆者は言い、この作品自体をひとつのマリオネット・ドラマに見立てている2。
とはいえ、それでもまだ若干の疑問は残る。人形が登場する大正ロマン風の映画なら他にもある3。登場する人形にせよ、センスこそ良いものの実際にはここで書かれているほどには作品の主題になっていないようにも見える。が、不思議なことに、一見やや強引に、こじつけのように並べられているにも関わらず、<小津と人形>という取り合わせは考えれば考えるほどしっくりと馴染んでくるのである。
この小論では、単に大正ロマンの名残として初期作品に登場し、すぐに消えていったモチーフのひとつ4としてではなく、もっと小津作品の根幹に関わる特権的なモチーフとして人形を語れないか、詳細に見ていければと思う。

*今、<小津安二郎と人形>というような組み合わせを口にすると、「そうした見方は<小津と俳句>、<小津と禅>、といった紋切り型のペアを少しひねっただけで、結局、画面を虚心坦懐に観ることから遠ざかってしまうのだ」5と批判を受けそうだが、俳句や禅の場合と人形が決定的に異なるのは、これから詳述するように、小津を鑑賞するとき単に表面的な比喩としてのみ人形が用いられるのではなく、「小津映画の画面を注視することが人形とは何かについて考えるのとほぼ同じ体験になってしまう」という微妙な、しかし見逃せない相互作用が生じる点にある。80年代の時点で既に四方田犬彦氏が<小津安二郎と死者>(死者もまた、人形と極めて親縁性のあるモチーフ)について論じ、90年代に吉田喜重が小津映画における「死者の眼」について触れているとおり、小津映画の中に非・人間的なるものを見るアプローチは、ある意味で小津作品を観る際におけるひとつの典型とさえ言えるものかもしれない6。



(図1)

先程、溝口健二成瀬巳喜男の映画にインスピレーションを得た人形と口にしたが、実際に小津安二郎とその映画に着想を得て作品を作っている人形作家は自分の知る限りではふたりいる。石塚公昭与勇輝である。前者は監督自身を模した人形で、後者は前者同様小津本人とその映画の登場人物たちを人形化したもの(図1)、共に布人形である。与勇輝を特集した雑誌「太陽」には、たとえば映画プロデューサー山内静夫によるこんな記述がある。

 2006年四月の「パリ・バカラ美術館開催記念展 与勇輝 人形芸術の世界」で、初めて与さんの小津映画へのオマージュ作品に接した私は、大袈裟でなく、小津映画の世界そのものがそこにあるかのように思えて言葉を失った。
 小津映画に魅せられて、小津映画と同じような撮影方法で撮った若手監督がいた。だがそこからは小津映画の香りも情感も何一つ伝わってはこなかった。(……)小津映画の場合、どの登場人物も、台詞のイントネーション、動きのすべてを小津監督の言うとおりにさせられる。それでいてどの人物も、小津という色が、例えば笠智衆さんなら笠さんという俳優としての色を通り抜けて、平山周吉(「東京物語」の役名)という人間の実像の中に現れてくる。まるで魔術のように。
 与勇輝さんが創る小津作品の中の人物も私には同じように映る。7

小津映画の俳優の人形性、というのは実際よく口にされることであり、蓮實重彦も『監督 小津安二郎』において、その俳優たちがあたかも自動人形のように動くことについて触れている8。わざわざ文献にあたらずとも、(とりわけ)後期代表作における、常に感情を抑制し表情を固定する傾向のある主要登場人物たちが自動人形じみているのは明らかだともいえる。
ヴィム・ヴェンダースのドキュメンタリー「東京画」において、小津映画の顔である俳優の笠智衆は、引用にもあるように自分が完全に小津の言いなりになって何も考えずに動いていた、と述懐している9。だが、例は枚挙にいとまがないとはいえ、こうした事柄を表面的に拾うだけではやはり片手落ちになってしまう。俳優を完璧にコントロールしたがるタイプの監督は大勢おり、もちろんその全員が人形と親和性のある作品を作っている訳ではないからだ。引用にも示唆されているように、小津と人形との相性のよさを、単に小津映画の登場人物には血が通っておらず、人間が描かれていないのだ、という、特に初期作品に対してよくなされる紋切り型から短絡的にまとめてしまうことは避けなければならない。その画面の中で起こっている事態はもう少しばかり細やかで、入り組んでいる。

たとえば小津の場合、笠智衆に「君の演技より、構図の方が大事なんだよ」と口にしたこと10がそのまま作品の持つ人形性を証明しているというより、むしろ、この手の台詞を幾度となく口にされたであろう笠智衆が、「東京画」やエッセイにおいて懐かしくその事態を回想し、いかにも幸福そうに敬意を込めてエピソードを語っている、という小津の「人形遣いぶり」の巧みさ、そして笠智衆の優れたマリオネットぶり(これはもちろん完全に褒め言葉)にこそその人形性なるものが表れているということが出来るのではないか。「笠智衆だって当時は嫌だったが今となっては懐かしいのだ」という見方も可能だとはいえ、残された資料を見る限りやはりそのように受け取るのは難しい11。「東京画」からは、小津の発言のひとつひとつをどこか宗教的といっていい幸福と共に受け入れていたであろう氏の姿が浮かび上がってくる。こうした印象は勿論個々人で意見の割れるところだとは思うが、自分としては、強い我を持っている「喰えない」キャラクターであるからこそ、逆に完璧に人形に徹しきれるような、笠智衆のほとんど特権的と言ってよい佇まいに感動させられる。

ここで、一種の人形化願望小説としてよく取り上げられるポーリーヌ・レアージュ『Oの物語』の「奴隷状態の幸福」といった言葉を引くのはその語感の暴力性からやや語弊がありそうだが12、事態としてはそれに似通ったことが生じていて、つまり、「マリオネットの幸福」こそが小津映画に独特の幸福感と付随する違和感(とりわけ後者に関しては「気味悪さ」と絡めて後に詳述する)、つまり人形性を生んでいるのではないか。小津は「人間が描けない」のではなく、「人形を描いている」のだとは言えないだろうか。



俳優の人形性以外にも、小津安二郎と人形にはまだまだ多くのテーマ的な共通点が見られる。ざっと考えただけでも、1構図と反復 2父 3視線の三点が挙げられる。これらは小津を語る上では基本中の基本とされる事柄で、もはや語り尽くされている感はあるものの、それでも人形と絡めることでまた少し異なる見方が出来る。

一番単純なのは1の構図で、小津特有のローポジションの固定カメラで撮られた日本家屋の空間が、ふすまや障子、縁側やドアといった諸々で区切られ、画面の中にいくつもの枠を作り出している。通常の映画は観客にフレームを意識させないが、小津の場合は逆で、映画がフレーム内で生じている虚構だということを常に意識させるように多重の枠を画面内に用意する。これがある種の演劇的空間つまり、人形たちが動き回るマリオネット劇場ということになる。劇場のなかで横に「並べられる」(「並ぶ」ことは小津映画を語る上で頻繁に取り上げられるテーマだが、ここではあえてより人形的な「並べられる」の受身形を採用する)俳優たちは、その設定上の職業がなんであれ、みな等価値な存在のように見える。人形劇において、観客から見て王様の人形と乞食の人形との間にさしてヒエラルキーが発生しないようにである13。名高い「父ありき」や「浮草物語」の渓流釣りのシーンでの感動は、川を前にして釣竿を手に並べられている父子の上下関係が、釣竿を投げるふたりの機械的反復の効果も加わり、ユートピア的に解消されることに多くを負っている。四方田犬彦は『映像の召喚』のなかで、小津映画における様々な俳優の動作の反復を列挙し、それらを死体の身体と結びつけるが14、行為の類似反復が死体よりむしろ自動人形に特有のそれであることは、死体と自動人形の性質を現実的に比較して考えてみれば明らかだろう。例えば同著の中の以下のような文章は、そのまま「生者」を「人間」に、「死者」を「人形」に置き換えて読むことが出来る。

すべて呼び出されるものは死者を連想させるのだった。固定した仰角画面の中に導かれ、とりたてて派手な動きを見せることもなく、ただ空虚な自動化された言葉だけを互いに反響させていく男や女たち。硬直した身振りと無表情な正面像を特徴とする彼らに、感情移入する内面を求めたり、その視線の位置を見定めようとする努力は、ほとんどが徒労に終わるのだった。それらは生者を前にしてのみ行使しうる力に過ぎなかったのだ。したがって、小津安二郎は、つねに生者の側に立っている同業者から非難された(「たいへんいやらしく、うそですね」吉田喜重)彼の作品では、登場人物はどこか別の世界から突然に白昼の現在に召集を受け、当惑しながら不自然な査問に応じているといったふうだった。15

次に、2の父のテーマについて語る前に、いささか唐突ではあるが、小津と比較する対象として取り上げるドイツのシュルレアリスト・人形作家ハンス・ベルメールについて少しだけ説明を加えておく。ベルメールは自作の球体関節人形(体の各部位を球体のパーツでつないだ人形)の写真作品で知られる作家で、日本ではこのジャンルの祖としていまなお強い影響力を持っている。ベルメールの場合、通常の人形とは違い、「四本の足のパーツと腹部の球体関節をつないで構成された頭部を持たない人形」(図2)といったように、意図的に体の各部を欠損・増殖・並び替えるのが特徴である。ナチスの台頭するドイツを逃れフランスに亡命したベルメールの作品は、ファシズム(≒健康な肉体を持ち、強い父になることの賛美)への抵抗としての退嬰的行為、という意味合いにおいて高度な政治性を持っていた。また、ベルメールの人形写真はレイプ趣味やネクロフィリアシリアルキラー性、ミソジニーなどとよく絡めて語られてきた16。成人男性の真剣な人形遊びには強い父になることへの否定という要素が多分に含まれるが、ベルメールの作品を見ればわかる通り、「強い父」を遠まわしに否定する(=直接対決する以外の方法で父を否定する)過程で作家はある種のグロテスクを引き受ける羽目になる。強い父を否定しようというそれ自体は政治的に正しい行為を婉曲なものにしていくと、綺麗な「正しさ」とはまた異なる別のゆがみが表れる。そしてこうした「ゆがみ」こそ、小津安二郎の映画にもはっきりと見られる特徴である。

(図2)

戦前の作品に顕著なとおり、小津映画において父はずっと弱い存在、ほとんど去勢されたような存在として描かれる。「生れてはみたけれど」や「東京の合唱」における、上司に頭の上がらず子供たちからは反抗される父、同じく「東京の合唱」や「一人息子」の、地方での教職を辞して上京し、貧しい料理屋になる教師。ただ、これらの作品での父や教師は、あからさまに弱者であることで観客にどこか奇妙な印象を与えこそすれ、グロテスクなものではなかった。

婉曲や迂回がグロテスクを生むのであれば、やはり小津作品の気味悪さは戦後代表作、笠智衆の演じる「父」に極まると言えるだろう。「父ありき」で既に老人を演じていた笠智衆の父役の言動は、戦時中の映画ということもあり、すべて「強い父」のそれを表面的に模倣したものなのだが、これまで述べてきたような俳優の人形性もあり、まったく説得力がない。父は実際には取り立てて信念もなくただ流されているに過ぎない17のに、話のつじつまを合わせるためにもっともらしい建前を並べる。父の威厳は息子が異常に従順なことによって支えられている。これは要するに隠れた反戦映画と読めるのだが、小津の場合、通常体制批判に付きまとうはずの攻撃性が、笠智衆の天使性(弱々しさが魅力として表れ、攻撃されることなく周囲と調和しているのが、現実ではありえないようなユートピア的な空間を生んでいる、くらいの意)にすりかわっていることに注意を払う必要がある。笠智衆の父の言動はほぼすべて紋切り型であり、それはとりわけ後期作品において周囲に対するデリカシーのなさという形で表れるのだが、小津映画の場合、このことが何故か逆に笠智衆の存在感を純化する方向に向かう18。

戦後になり、もっと普通の強い父を登場させてもよさそうなものなのに、小津はますますこの傾向を推し進める。一見威厳があるかのように振舞う父親が、その実は内容空疎な言動を繰り返し、何故か周囲はそれをまがりなりにも価値の高いものとして受け止める、という後期代表作のスタイルが確立する。「東京物語」での有名な、妻を亡くした直後に笠智衆が「今日も暑うなるぞ」とつぶやくシーンの衝撃と違和感は、父が天気の話にかこつけて張り裂けるほどの悲しみを抑えているから観客の胸を打つのだというよりも、形骸である父の特に意味がない「弱い」台詞が、にも関わらずなんとなく「強い」ものとして通ってしまう、という今述べたスタイルが、妻の死の直後というシビアな状況下でも実践され過激化していることによるように思う。
(実際、「今日も暑うなるぞ」という台詞は他の小津映画、例えば「晩春」でも何気なく登場するのだが、この反復は状況の差による台詞にこめられた意味の重さのズレというより、状況があまりに異なるにも関わらず両者がほとんど同じもののように映ることで人を慄かせる。もっとざっくり言えば、おそろしく不謹慎なのである)。

また、「晩春」で笠智衆原節子が同衾する、近親相姦を匂わせて有名なシーンのグロテスクは、これまで書いてきた文脈で考えてみれば、月光の降り注ぐ室内=劇場で笠智衆原節子のマリオネット的な性質が生々しいかたちで浮き彫りになっていることに拠るのだといえる。つまり、父娘が娘の結婚前に同衾し、それが性的描写のない小津映画においては異例だからグロテスクなのではなく、露骨に近親相姦の雰囲気を匂わせているにもかかわらず、絶対にふたりがセックスをしないことが観客に伝わってくるからこそ(人形だから)、ひとは気持ちをかき乱され、薄気味悪さを感じるのである。
蓮實重彦はこのシーンで唐突に映し出される壺(=オブジェ)と父の類似性を指摘しており19、また、ここでは原節子の顔があからさまに能面に見えるようフェティッシュに撮られてもいる。壺は登場人物の人形性=モノ性を際立たせていて、こうしたオブジェ(薬缶や石灯籠など、円形をしているか何らかの形で曲線を持っている)が話の流れを切断する形で登場人物たちとほぼ対等の存在であるかのように映し出される状況は、「晩春」のそれほど有名なものは少ないにせよ、小津映画であればお馴染みのものである。牽強付会を承知で言えば、これらの映像(円形をしたオブジェの映るショットと登場人物の登場するショット)がほとんどヒエラルキーを持たずに並置される状況は、ハンス・ベルメールの人形において、体の各部が分断され、球体関節(=人体には本来存在しない球形のオブジェ)で繋がれて序列なく組み替えられていることとその心理においてあながち無関係ではないかもしれない20。グロテスクな面ばかりを強調してしまったが、もちろん人形というものがおしなべてそうであるように、ここでの薄気味悪さはそのまま観客の快楽に反転しうるし、だからこそ名場面たりうると言える。

最後に3の視線について。小津映画の、イマジナリーラインを無視した切り返しショットに関して、俳優の視線が合わないことは昔から議論の種になっており、いまだに結論は出ていない。有名どころでは、日本間の美しさを活かすためである21とか、既存の映画文法の切り返しという制度を脱構築する試みである22とか言われている。しかし、球体関節人形の愛好家であれば、これはさして解決に手間取らない類の謎である。何故なら、球体関節人形を意識的に見るようになった人間が、誰しも最初に気づき、驚かされるのは、人形というものがそう易々とは自分たちと視線をあわせてくれない遠い存在なのだ、というあまりに些細な、しかし決定的な事実だからである23。

小津安二郎の映画、とりわけその中〜後期の作品において、登場人物たちが視線を合わせることはない。人々は互いに相手を見据えはしない。これはそのまま、「父ありき」の父が建前を並べ息子の内面については知ろうとしないことや、「東京物語」において殆どの場面がセットで撮られ、タイトルに冠されている「東京」自体は観光バスの中から書き割りのようにしか描き出されず、都市が持っている生々しい特質のようなものは触知できないこととぴったり対応関係にある。小津の映画において視線の先は色々なレベルで表面しかない空虚であり、そして、表面しかない空虚が人の形を取ったものこそが、まさに今まで述べてきたとおり、人形というモチーフなのである。


* * *


(1)補足すると、黒沢明作品では「夢」で人形が、「生きる」「素晴らしき日曜日」でぬいぐるみが比較的鍵となるモチーフとして登場するように、決して人形が画面に出てこない訳ではない。が、やはり黒沢明の骨太なイメージはやはり人形の柔らかさとはいまひとつそぐわないと言えるのではないか。

(2)「「その夜の妻」にはいくつもの人形が出てくる。この映画は、病気の子どもの治療のために銀行強盗を犯す父と、その妻、娘の物語である。東京の郊外らしき自宅の一室は、壁にポスター(ハリウッドの本物らしく見える)が張りめぐらされた徹底した外国語の空間である。そこに洋風の人形が巧みに配される。(……)徹底してダンディーでモダンな舞台装置なのだが、ただひとつ、母が丸髷に着物を着ているのがまぎれもなく日本なのである。この女優(……)は、着物姿に不意にソフト帽を被らされたり、二丁拳銃を構えたり、アンバランスに美しい。(……)「その夜の妻」ではいくつかの人形が順に何度も何度も小津特有の静止画面の中に描かれ、物言わぬ彼らがモダニズムをいっそう盛り上げている。それが子どもの世界を強く印象づけ、あたかも本当の主人公が誰であるかを暗示しているかのようである。それはまさに、マリオネット・ドラマなのである」「「表現の人形史」竹久夢二から現代へ」金子賢治(『工芸館名品集‐人形』所収,2010年, 東京国立近代美術館)6−8p

小津安二郎 DVD-BOX 第四集

小津安二郎 DVD-BOX 第四集

(「その夜の妻」の収録されているDVDBOX。自分は大学の映像資料室で閲覧したが、高い・・・)

(3)同時代であれば、それこそ成瀬巳喜男も「夜ごとの夢」「生さぬ仲」などの作品の中で大正ロマンの名残に近い文脈で人形を用いている。にもかかわらず、このカタログで小津の「その夜の妻」の方が優先的に取り上げられるのは、(2)の記述からもわかるように、「その夜の妻」においては舞台装置自体が極度に人工的であり、これが徹底して人工物であるところの人形というモチーフと重なっていることに由来するだろう。(とはいえ、成瀬巳喜男には他にも「まごころ」など、人形に大きく焦点を当てた傑作が存在する)

(4)小津安二郎の映画において、人形が直接画面上に登場する作品は、確認した限り「若き日―学生ロマンス」「朗かに歩め」「その夜の妻」の三本であり、すべて戦前の初期作品だが、前二者において人形の毀損シーンが登場することは指摘しておいて良いように思う。暴力シーンのほとんどない小津映画において人形の毀損のイメージはやや例外的だと言えるし、E・T・A・ホフマンの「砂男」における自動人形の落下や、ルイス・ブニュエル監督「アルチバルド・デラクスルの犯罪的人生」における人形焼却シーンのように、「独身者」と括られる芸術家の作品の中で人形の毀損は頻出するモチーフだからである。本論は、独身者的な作家の中でも更に特異な一例としての小津安二郎監督について論じるものである(作品が「独身者の機械」的かどうかは、実際に作者が独身かどうかとはそこまで関係がないように思えるが、一応小津安二郎が生涯独身を通したことも付け加えておく)。
また、本論の展開に即した形で言えば、小津安二郎は直接人形を画面に映すことからはじめ、次第にその映像の文法・演出レベルにまで人形的なるものを浸透させていったと言えるのではないか。

(5)<小津ともののあはれ>、<小津と禅>、<小津と俳句>といった組み合わせがいかに小津の画面を見ることから遠ざかってしまうのかは、蓮實重彦『監督 小津安二郎 増補決定版』(2003年,筑摩書房)の中で詳細に論じられている。

(6)四方田犬彦『映像の召喚』(1983年,青土社),吉田喜重小津安二郎の反映画』(1998年、岩波書店)。
また、前田英樹は『小津安二郎の家―持続と浸透』(1993年,書肆山田)で小津映画の視線が「カメラ=機械の目」そのものであり、映画の映像がまるで人間の視覚と同じであるように感じられる錯覚・詐術に対し小津が厳密な形で反抗していたことを詳細に論じている。個人的な見解だが、「機械の視線」をより情緒的・文学的に言い表したものが「死者の視線」であり、モノでありながら人を模した存在でもある「人形の視線」というものがもしあれば、それはこの中間あたりに位置するだろう。

(7)『与勇輝(別冊太陽スペシャル)』(2011年,平凡社)134−135p

(8)蓮實重彦,同掲書,99p
 
(9)ヴィム・ヴェンダース「東京画」(1998年,東北新社
 小津映画の多くを手がけたカメラマン厚田雄春もまた、本作の中で自分はカメラマンというより監督の配置したカメラに何かがないように見張るカメラ番だった、とやはり考えようによっては理不尽な内容を親愛の情を露わに語っているのが印象的である。

(10)笠智衆『大船日記-小津安二郎先生の思い出』(2007年,朝日新聞社)80p
 引用箇所の後、「考えてみれば、俳優にとっては誠に無礼な言葉ですが、先生が仰有ると、説得力がある。それに、先生の言葉には、なんとはなしにユーモアがあって、腹を立てる気にはなれんのです」という言葉が続くことに注意。笠智衆に限らず、小津安二郎の関係者インタビューを読んでいて気づかされるのは、俳優やスタッフが小津の細かい指示に厳密に従わされていたにも関わらず、その多くが反撥を匂わせることなく小津への好意・親しみを強く感じさせる発言を残していることである。

(11)「東京画」における、「多くの俳優の中から小津監督に選ばれたことが、人生最大の幸せだった。でなければ、自分は全く違う人生を送っていたと思う。何者でもなかった自分が小津監督によって笠智衆になった」「余計なことを考えずに、小津監督の指示に一句一句従うことが演技力の有無より大切だった」「監督は自分より僅かに一歳上だが教師と生徒。親父と息子。精神的に大きな存在、先生だった」といった過剰に「人形的」な笠智衆の発言は、小津と笠智衆の関係が同性でありながらピグマリオニズムに肉薄するものだったことさえ示唆しているだろう。

(12)ポーリーヌ・レアージュ『Oの物語』(高遠弘美訳,2009年,学習研究社
 誤解を招きかねない箇所だが、レアージュが、自ら奴隷的な立場となり法悦を得るヒロインのOを蔑む目線をまったく持たないように、ここでの文章は笠智衆を侮蔑しようというものでは一切ない。例えば(11)で挙げたようないくつかの言葉はジャン・ポーランによる本書の序文の「他者の意思に自らをゆだね(恋する者たちや神秘主義者がそうであるように)、ついには自分自身の快楽や個人的な損得やコンプレックスから解き放たれる自分を自覚する行為にはある種の偉大さや喜びがつきまとうものだ」(7p)といった言葉にある程度まで一致している。高原英理は『ゴシック・ハート』(2004年,講談社)の中で、人形化(=奴隷化)願望が、自意識なるものが本来的に持たざるを得ない汚濁に対する嫌悪感から来るものだと論じているが、この点はまさに笠智衆が「余計なことを考えずに、小津監督の指示に一句一句従うことが演技力の有無より大切だった」と言って自意識を消し去るときに発生する独特の透明な幸福感を説明していると言えるだろう。

(13)たとえば、「生れてはみたけれど」や「東京の合唱」、「青春の夢いまいづこ」等、多くの初期作品においては、話の都合上、権力者として社長が登場し、社長とサラリーマンたちとの上下関係は絶対的なものであるけれど、社長のキャラクターがコミカルかつ書き割り的なものにデフォルメされているため、リアリズムからは離れ、現実味に乏しい。要するに「偉い」側の人間が威厳を持たないのである。この点に関しては、本稿で次に論じている小津作品における「強い父の不在」という点とも一致する。逆に、「生れてはみたけれど」「母を恋はずや」の子どものクローズアップを見ればわかるとおり、ローポジション・ローアングルで取られた映像は、子どもの視点から見た映像というより、むしろ子どもにある種の威厳をまとわせるような映像に見える(極めて低い位置から画面一杯に子どもを見上げると、あたかも子どもが尊敬すべき対象であるかのように巨大に見える)。

(14)「書き出していけば枚挙に暇がないのだが、われわれはかかる行為の類似反復がいかにして形成されてきたかをうかがい知ることが出来る。それは初期作品においては、群をなす大学生たちの様式化された集団行動としてまず登場する。『若き日』や『東京の合唱』における手拍子、『落第はしたけれど』の校庭に集う大学生たちが友情と連帯の証左として肩を組みつつ演じるタップダンス。やがて集団行動は継起的な反復(『生れてはみたけれど』の子どもたちが行う仮死の儀式)と同一画面内での共時的な共感(『浮草物語』『父ありき』における、父と息子の川釣り、その自動車のワイパーに似た手の反復)へと発展し、後期の作品では単に行為が模倣されるばかりか、同一の構図、同一のポーズ、同一の服装をしたふたりの人物が登場し、酒を酌み交わしあうという奇怪な光景(『秋日和』)すら出現する。そこでは個々の作品までもが類似した物語を持ち、しかも登場人物に与えられる固有名詞はほとんど同一なのだ。晩年の小津は、もはやひとつの作品を他の作品から分割する境界線の存在を信じず、互いに境の関係にある複数のフィルムがすべからく同一の作品を構成してしまうような絶対的な地点に接近していたのである」四方田犬彦,同掲書,68p 

この文章は、小津映画における登場人物たちが如何に「死者」だったか、時系列を追って説明するものだが、これはそのまま、小津安二郎が実在の人間を用いてある種の人形劇をやろうとしていたこと、作品を追うごとにそのテーマが深まり、過激化していくにつれ、最終的に小津安二郎作品の総体がひとつの人形劇と化していったことを書いたもの、とも読める。

(15)四方田犬彦,同掲書,66p
無論、小津映画の登場人物を画一的に死者=人形に置き換えてしまうことには危険がある。例えば「東京物語」の場合、原節子笠智衆がいくらか人形めいて映るのはそこまで説明する必要のない事柄だと思うが、杉村春子の生き生きとしたキャラクターがどれくらい人形的なのかは怪しい。ところどころ矛盾を抱えつつも、小津映画が「かなりの程度まで」人形的であることが、作品を鑑賞する際にどのような読みを付け加えられるのか、が本論の目指した点である。
また、発表当時批評的に振るわなかった作品としてよく名前のあがる「早春」「東京暮色」、そしてとりわけ作家自身が失敗作とみなしたらしい「風の中の牝鶏」等の作品が、総じてメロドラマであるのは、人形的な性質を持った登場人物に派手な心理的葛藤を演技させた場合、人間と人形とがそれぞれ持っている性質の齟齬が過度に前景化するからだろう。『国際シンポジウム 小津安二郎』(2004年,朝日新聞社)でホラー映画の名手・黒沢清監督が「風の中の牝鶏」の登場人物をみな死体だと(こちらは肯定的に)指摘しているのはまさにこの問題と密接に繋がってくる。

(16)澁澤龍彦『少女コレクション序説』(1985年,中央公論新社),ハンス・ベルメール『イマージュの解剖学』(種村季弘、瀧口修三訳 1975年,河出書房新社)等。ベルメールの伝記的内容は後者から。

(17)ここで父が「何に」流されているのか考えてみたとき、周囲の環境の変化に流されている、というよりむしろ、映画のプロットを決める際の小津安二郎(及び脚本家・野田高悟)の不可解な妄執に流されている、と考えた方が適切に思える。たとえば「父ありき」の場合、職を辞して父が東京に向かうのは、物語的には教え子がボート転覆で事故死したことの責任を取ったためということになっている。しかし、蓮見重彦が『監督 小津安二郎』で小津作品の中から「現在の職を辞して(何故か)東京に向かう父あるいは教師」という構造のやや執拗な反復を取り出してみせたように、小津映画においてなぜ複数の作品で特定のモチーフが不自然に繰り返し登場するのかを考えだすと、それは容易に説明できないものになってしまう。

(18)たとえば「父ありき」の場合、毎回事情は異なるものの、父と息子のやりとりはすべて前者が後者を傷つける形で終わるが、そのことに関して父が責められる視線というものは映画内にはいかなる意味でも存在しない。笠智衆の老け役の度重なる起用からも端的に見て取れるように、小津映画における「父」は年齢という括りからどこか自由な存在であり(その意味でも天使的と言える)、そのデリカシーのなさは無垢と紙一重である。目の前にいる相手の内面に踏み込んでいくような視線を持たず、徹底して表面上にとどまるそのまなざしの質は、やはり純度の点では透明なのであり、人が「純粋」と呼ぶものにどこか近似している。

(19)蓮実重彦, 同掲書.247−251p

(20)こうしたオブジェとしては、「東京の女」における薬缶、「父ありき」における石灯篭、初期作品群においてとりわけ顕著で後期になってもたびたび登場する(置き)時計などがある。また、「彼岸花」における一切の説明なしに(ほとんどアニメーションのように)シーンごとに位置を変える薬缶などもこの応用例と言える。また、ここでベルメールを持ち出すことでより明瞭に見えてくるのは、やはり「強い父」の場合と同様、小津がその画面上から色々なレベルでヒエラルキーを消去することに腐心していたことである。

(21)小津安二郎『僕はトウフ屋だからトウフしか作らない』(2010年,日本図書センター)56p

(22)蓮実重彦,同掲書,129-136p

(23)たとえば、小津安二郎映画において床に置かれたカメラの視点が「子どもの視線」だというのはひとつの有力な解釈だが、「東京画」によれば多くの場合、実際のカメラ位置は子どもの視線より更に低い位置にあり、これはその高さだけ考えれば直立している市松人形の視点なのだと言うことも可能である。このとき、カメラ位置が市松人形のそれと重なること自体に厳密さを求めればそれは眉唾になってしまう(端的に言って、撮るショット毎にカメラの高さは異なる)が、小津のカメラが「死者の眼」=「ひとならざるものの視線」を持っているという旧来の文脈でこの類似について考えるとき、小津映画が持つ人形のまなざし、という発想はそこまで的外れなものにはならないのではないかと思う。
(6)で小津の映画が徹底して人の眼ではなくカメラの眼に忠実であることを意識していたという前田英樹の解釈を取り上げたが、これが四方田・吉田には「死者の眼」と同じだったように、小津の映像とは、もし人形に視線があれば世界はどのように見えるのかに追った実験であるとも読めるのである。

黒谷都「半月」@せんがわ劇場

(注・ネタバレを含む。自分の記憶力はかなり杜撰で、人形劇は量を観ている訳ではないので解釈にも不安があるが、やっぱり書いておきたいので書く。読み違いや事実誤認があれば指摘頂き次第修正します)

黒谷都さんの人形演劇「半月」を観てきた。せんがわ劇場の人形演劇祭"inochi"に行くのは三年目である。去年・一昨年の演目においては舞踏に大きく比重がおかれ、これは人形遣いと人形との差・ヒエラルキーを解消する試みとしてもちろん十二分に納得いくものだったとはいえ、通俗的なレベルでの感想として「もっと人形が動くところが観たいなあ」というものがやっぱりありー去年、時間的にはほんの短い間披露されただけの「水仙月の四日」における人形の所作が戦慄するようなシロモノであっただけにーそして、その欲求は今回ばっちり充たされた。

「半月」はこれまで観た黒谷作品同様、コンセプチュアルな面を除いては語れないようなところがあるのだが、この作品について感想を綴るならなによりまず、その人形の所作の神秘的な美しさに触れなければならない。
「人形は詩的なものを表現することに向いている」というのは、かつてチェコアニメの巨匠イジートルンカによって口にされ、今ではこの手の台詞が紋切り型としてやや安易に語られ過ぎるようになったあまり、ちょっと人形を見慣れた観客であるならむしろ、「そうやすやすとは人形が詩的なものを表さないこと」の方に意識的になってしまうと思うのだが、その点、黒谷都の人形操作は神業である。人形が手を上下に動かすだけで、神経が風にそよぐような快感の波が走る。人形の一挙一動を追っているだけで自分の頬にいつのまにか温かいものが伝っているのに気付く。至芸を言語化することは出来ないのでここで止めるが、その霊的な表現は圧巻である。勿論こうした効果が人形操作の妙だけでなく、演出家の哲学・音響・美術・照明との高度な合わせ技なのだけ急ぎ足で付け加えて、次は内容について考えてみる。

「半月」は、ざっくりまとめてしまえば、「赤ずきん」や「桃太郎」といったメルヒェンに登場する老婆(老人)と子供の関係を、人形遣いと人形との関係に置き換えて再話するというものである。
劇中、人形遣いの人形に対する過保護なまでの愛とサディズムが交錯するのは、以前と同様(だった筈。たぶん)。「過剰な愛とサディズムが交錯する」ではわかりにくいので具体的に例を挙げると、「半月」では、人形が慈しまれ、繊細極まりなく動かされるシーンと、首根っこをつかむなどして暴力的に動かされるシーンとが交互に現れる。人形が「ただのモノに見える」シーンと「生きているかのように見える」シーンが猛スピードで切り替わり、激しく明滅するのである。

最初のパート「赤ずきん」の場合を見てみる。下半分が灯され半月に見立てられた球の下、黒衣のおばあさん(役の黒谷都)が袋を開くと、裸の赤ずきん人形と布が登場し、おばあさんが丁寧に赤ずきんに布をまとわせていく。もともと赤ずきんのずきんはおばあさんの作なのである意味原作通りとも言えるのだが、その仕草はどこか母親のそれを思わせる。そして、赤ずきんは原作の筋の通り、森を通っておばあさんの家へと向かうのだが、そもそも人形遣いのおばあさん自身が赤ずきん人形を動かしているので、その関係は自作自演的に倒錯している。おばあさんの家に着くと、赤ずきんは服を脱ぎ(ここでの脱衣の仕草は凄絶にエロティックで忘れられない。服の着脱のモチーフはこの作品のメインテーマのひとつであり、もちろん人形遊びのそもそもの要でもある)、狼に食べられる。しかし、狼は直接舞台上には登場せず、食べられるシーンは人形の仕草で表現されるので、まるでおばあさんが狼となって赤ずきんを食べた(=子宮に戻し、過剰に護った)ように見える。

ここまでの流れで見えてくるのは、人形と人形遣いの関係で捉えればこれらが1対1の双方向的なやりとりである反面、人形に生を見るのを止めた瞬間なにもかもが一人芝居になってしまう悲痛な寂寥感と、ひとりあそび特有の狂気じみた幸福感である(また、忘れられない要素としてここにピアニストの存在感も絡んでくる)。当然この寂寥感は、人形遣いの「生きているように人形を動かせる」というスキルの高さによって際立つものである。こうした諸々が頭でっかちに描かれているのだとすれば、それは白々しいものになってしまいかねないが、この「赤ずきん」のパートは、ひとりの稀有な人形遣いが全力で「赤ずきん」を演じたところ自然にこうなってしまった、というような必然的な雰囲気に満ち満ちていて(実際にはそんな単純な話でもないと思うが)、この手のアプローチにありがちな軽佻浮薄さを寄せ付けない傑作に仕上がっている。

逆に一番判断が難しいのが、次の「桃太郎」のパートである。舞台は明るくなり、孕んでいると思しきグロテスクに腹を膨らませた黒衣に白塗りのおばあさんが現れ、盥とそれに乗る人を喰ったような粗雑な細い金属人形を産み落とす。盥に付いているスイッチで金属人形を左右に動かしつつ、おばあさんはダンスを交え、「桃太郎」のテクストを微妙に変更しつつ朗読していく。ここでは、膨らんだ腹、「桃」への言及、舞台上の球形の月のオブジェと、執拗に(比喩的な意味で人形遣いには不在なのだろう)子宮への執着が語られる。前述の「過保護」というテーマはおばあさんが「桃太郎、鬼退治にいかないで」などという台詞からも浮かび上がる。が、自分はこのパートについてはいささか複雑な気持ちを抱いている。その濃密さ故に極度の集中を強いられた先のパートから一休み、そしておさらい、といった側面もあるのだろうが、ここで語られているテーマはおそらく現代芸術にある程度慣れている人なら前のパートを見ればわかるのでわざわざ言う必要のない事柄だし、逆に慣れ親しんでいない人であればこのように言われてもわからないので意味不明になってしまうからである。「おばあさんは川へ芝刈りにー」といった台詞には作品を壊しかねないあやうさがあったと思う。とはいえ、全体を通して見たとき、やはりここでの「桃太郎」というチョイスに象徴されるような、前面に押し出された違和感が作品を立体的に見せているのもまた間違いない。

そして最後のパート。パンフレットによると「青い鳥」らしいが、自分は未読でわからなかったのでその点には触れない。登場するのは成長した赤ずきん人形遣い。ここでの赤ずきん人形は最初布に直接顔を描きこまれたものとして登場するのだが、途中で別の顔の仮面を被り、容貌を変えるのが特徴である(写真)。赤ずきんは高校生くらいの年齢の人形になっていて、サイズも大ぶりで、リアルな反面、人形劇の人形として動かすには若干奇異な感じのするものである(途中で半裸(=半月?)になって乳首を持たない布の胸を露出するというのも例外的なのではないか。半裸になり、ただの「モノ」であるということが隠微な形で明かされることで、ここでの人形は一般の意味での人形からむしろ繊細に遠ざかっていくようである)。また、このパートの途中に出てきた照明による人形と人形遣いが織り成す影絵は絶美としかいいようのないもので、ここでも自分は泣かされた。

このパートで演じられるのは「思春期の娘と母の葛藤」を模した「人形と人形遣いの葛藤」であり、ただでさえ複雑な前者の関係性に、人形という要素が持ち込まれることで関係はほとんど無限に錯綜していく(たとえば、ここでは先程まで出てきた小さな赤ずきん人形を「成長」したかのように見せかけている、というだけでもひとつ捩じれているし、それが反抗的なそぶりを見せ、人形遣いが押さえつける、というのもまた更に捩じれている。そしてこれらの捩じれがどんどん推し進められていく)。
「小さな少女人形を操る黒衣の人形遣い」という構図が安定したものであるとするなら、「大人の女性になりかけた、半裸の大きな人形を舞台上で登場人物として操る人形遣い」という構図はずっと不安定であり、もはや半分普通のお人形=パペットではなくなりかけたもの(半月?ここでの赤ずきんにはラブドール的な怪しささえ漂う)を操ることで、人形遣いはむしろ過激に人形遣いたりうるという、逆説的な、ほとんどジャンルの極北のようなパフォーマンスが見られる(球体関節人形であれば女子高生くらいの年齢に設定されたリアルで大ぶりの人形などザラだが、それががっつり動くところは今のところ見たことがない。また、等身大人形による人形演劇で名高い「百鬼どんどろ」に関しては、自分は残念なことに未見である)。

最後に気にかかったのは、最終パートでとりわけ顕著で、なおかつ全体を支配してもいる、その悲痛でメランコリックなトーンである。ラストシーンで長いスカートを履いて持ち上げられ、大人の女性になった赤ずきん人形遣いが音楽に合わせて陽気に踊るーここでの人形遣いは男性パートナーのような雰囲気であり、まさに変幻自在ーのも、自分にはむしろ寂寥感の方を引き立たせるように思えた。

「半月」は過去三年間観た中でも一番昏い作品だったと思う。これは人形の仕草だけで人を泣かせるような神業の人形遣いがその代償として抱え込まざるを得なかった業としての昏さなのか、或いは、ますます加速度的に綻んでいく日本に対する嘆きなのかーあの「桃太郎」パートが毀れていたのはそういうことなんだろうか?ーそれともその両方なのか、なにはともあれ素晴らしい作品だったので、果たして来年はどうなるのか、今から本当に楽しみである。



*後日、「人形遣いが<反抗的な態度の人形>を演じさせるとき、自作自演の関係が生まれるのは自明であって、<ねじれ>ではないのでは」というご指摘を頂きました。確かに人形遣いが人形に反抗のそぶりを表現させるのは古典的な芸で、それについて触れなかったのはこちらの手抜かりですが、ただ「半月」の場合、人形の反抗が単なるユーモアとしてではなく、主題にまで昇華されていて、やはり「ねじれ」は「ねじれ」として見る必要があるのではないか、と自分では思うので、とりあえず訂正はしないでおきます。ご指摘ありがとうございます。

メモ

困ったことが起こるとシェム・トーブは森で火を熾し、祈りを捧げて知恵を見出した。次の世代は森で火を熾したが祈りは忘れてしまった。その次の世代は森に行くことしかできず、更に次の世代は森も火も祈りも忘れてしまったが、それらのお話があることは知っていたのでそれで充分だった(そして今や、お話さえ思い出せない)。

18世紀のラビ、シェム・トーブの逸話。()内は米作家スティーヴ・スターンによる付け加え。

昔かわいそうな子どもがいてね。父親も母親もいない、みんな死んでしまってもうこの世には誰もいなかったんだとさ。みんな死んでしまったので、その子は出かけていって、夜も昼も探したのさ。でも、この世にはもう誰もいなかったので、天に昇ろうと思った。お月様が優しく照らしてくださったので、やっとお月様のところに行ってみると、それは腐った木のかけらだった。今度はお日様のところに行こうと思って、お日様のところに行ってみると、それは枯れた向日葵だった。今度はお星様のところに行ってみたら、それは小さな金色の油虫だった。百舌が李の棘に突き刺しておくように串刺しになっていたんだよ。それで仕方なく地球に帰ってみると、それはひっくり返った壺だった。だからその子はほんとにひとりぼっちになって、なかに座って泣いたんだよ。今でもその子はそこに座ってひとりぼっちでいるんだとさ。

オルグビューヒナー「ヴォイツェク」(岩淵達治訳 岩波書店)

「むかしむかし雪ひらがありました。雪ひらは、それにもまして素晴らしいことなど知らなかったので、空を舞い、そして地の上に舞い落ちました。いくつもの雪ひらが野に落ちそこでじっとしていました。また、先を急いでゆく人の帽子や頭巾の上に落ち、払い落とされるまでそこにじっとしているものもありましたし、荷馬車の前に繋がれて立っている馬の忠実で愛らしい額の上に落ち、その長い睫毛の上にじっとしているものもいくらか少しはありましたし、また一片の雪ひらはある窓の中へと舞い込んでいき、そこでそれがどうなったかは語られはしませんでしたが、ともかくもそこにじっとしていました。小路には雪が降っており、上の森の中では……ああ、今頃、森の中はなんと美しくなっていることでしょう。そこに出かけてゆくことだって出来るのです。願わくば、灯りのともる晩方まで雪が降り続けますように。あるところに一人の男がおりました。男の顔は真っ黒けで、なんとか洗いたいものだと考えましたが、石鹸水をもっていませんでした。男は雪が降っているのを目にすると、道に出て雪水で顔を洗い、顔は雪のように真っ白になりました。これでもうこそこそ隠すことはありません、男はすっかり顔をあげて歩きました。しかし、男は咳がでるようになりました。ずっと咳ばかりし続け、丸一年、次の冬がくるまで、男は咳をし続けました。次の冬、男は山に登りました。汗をかくまで登りました。咳はまだ続いていました。咳はいっこうにやもうとはしませんでした。そこに小さな子どもがやってきました。物乞いの子どもで一片の雪ひらを手にしていました。雪ひらは可憐な花びらのようでした。<この雪を食べてごらん>子どもは言いました。大きな男は雪ひらを食べました。すると咳はぴたっととまったのでした。お日さまが沈みました。あたりは真っ暗になりました。物乞いの子どもは雪の中に座っていましたが凍えはしませんでした。子どもは家でさんざんに殴られたのでしたが、どうして殴られたのか、子ども自身にはわかりませんでした。小さな子どもでまだ何もわからなかったのです。子どもの足は凍えませんでした。でも子どもは裸足だったのです。子どもの目には涙が浮かんでいましたが、まだ、泣いているということがわかるほどに賢くはなかったのでした。もしかすると子どもは夜中に凍え死んだのかもしれません。でも、子どもは何も感じませんでした。まったく何も感じませんでした。何かを感じるにはまだあまりに小さすぎたのです。神様はその子どもの姿を眼にしました。しかし、心を動かされるということはありませんでした。神様は何かを感じるには大きすぎたのです」

ローベルト・ヴァルザー『タンナー兄弟姉妹』(新本史斉/F・ヒンターエーダー=エムデ訳 鳥影社)

シャルダン展@三菱一号美術館

今日は長いこと楽しみにしていたシャルダン展(初日!)を観に行ってきました。大学一年のときに美術史の授業のスライドでみて以来のファンです。とはいえ、古典絵画に関しては近・現代美術以上に知識がないので、思ったことを少しだけ。

フライヤー等で取り上げられているのは、「食前の祈り」や上の「木いちごの籠」といった、シャルダンが風俗画を手がけるようになり、経済的に余裕が出てからの中期〜後期作品(と括っていいのかな?)ですが、これらロココ趣味を経た滑らかで流麗な作品よりも、個人的には初期(1720〜30年代)の静物画、特に野兎や生肉なんかを描いたものに惹かれました。厚塗りで、泥の匂いに溢れていてやや野暮ったく、たしかにフライヤーには使えないよねと納得してしまう反面、画面といざ対峙したときに受ける情熱の絶対量みたいなものは、こちらの方がぐっと多い気がします。鈍く圧倒される感じ。

風俗画のキャプションに書かれていたシャルダンの「やさしさ」みたいな要素に関しては、自分としては懐疑的で、女のヒトのやさしげな表情などはけっこうステレオタイプに乗っかってる部分もあるのではという印象を受けます。少女の肖像なんてなにやらビスクドールを見ているようでしたし*1。これは貶しているのではなく「やさしい」と評するのはどこか違うんじゃないか、と言っているだけですが、少なくとも僕には、にんにくやら鍋やらを描いているときのほうがずっと感情表現が肌理細やかに見えました。こちらは厳格でシビアで惜しみないやさしさ。とはいえ、ならば中期・後期作品は情熱に欠けるマンネリなのか、と言われれば勿論そんな筈もなく、どれも思わず幻惑されるような典雅な佇まいで、展覧会全体を通して作品ひとつひとつが豊かに響き合うような、そんな雰囲気がありました。雄弁な静寂、なんていうのもいささか紋切り型ではありますが。

あと現代っ子としては安易ながらやはりモランディを連想してしまいます。一見単調な静物画の反復が人をまったく飽きさせないところとか。機会を見てもう1・2回行けたらいいなと思います。


*1ロココっていうのは元々そういうものなんだろう、という気はしますが、情感たっぷりの初期静物画を見た後だとコントラストでロココ調の作品の非人間性が際立って見えるのです。

メカス×ゲリン往復書簡@イメージフォーラム

(*ネタバレを含む)

イメージフォーラムにて上映中の「ホセ・ルイス・ゲリン映画祭」より、「メカス×ゲリン往復書簡」を観ました。スペインのホセ・ルイス・ゲリン監督とリトアニア出身でアメリカに亡命した個人映画の巨匠ジョナス・メカス監督が交互に短い映像を送りあう映像書簡集というスタイルの作品。

冒頭から、「良い反射が撮れそうです」と口にするゲリンのモノクロの映像は、すごく洒脱で質の高いものではあるのだけど、どことなく既視感がつきまといます。この「どことなく既視感がつきまとう」ところを、「映画史、或いは写真史に対する愛あるオマージュ」と取るか、「綺麗だけどどこかで観たことある映像」と取るかはたぶん観る人次第。そしてぼくはどちらかというと後者。だって、メカスからの返信の映像がめちゃくちゃカッコいいんだもの。普通に考えたらありえないでしょう、っていう位デタラメに手ぶれしてるのに、ところどころ神業的な呼吸で決まってるから、一見素人が撮ったようにさえ思える雑な部分さえ完璧に味になってて感動が止まりません。ズームのタイミングひとつでこうまで感動できるものか、と思う。

この作品のなかで、ゲリンは本当に映画の話ばかりしていて、たとえばゲリンがミューズのように扱おうとする、マニラで夭折してしまうスロヴェニア映画批評家の女性なんですが、彼女がこれまたガチのシネフィルで、延々マニアックに映画の話をする。亡くなってしまったのも映画絡みで移住したからで、映画が完全に人生の中心になっている人。で、ぼくとしては勿論そのことにケチを付けるつもりなんてなくて、むしろ好感も敬意も持てる感じのいい女性として描かれているのだけど、でもやっぱりこの人、世間一般の通俗的なミューズ像からはズレます。「世間一般の通俗的なミューズ像」が女性差別と切っても切り離せないのは現在では明白になっているので、「通俗的なミューズ像」からズレる女性を敢えて選ぶのは戦略的なことなのかもしれませんが、気になるのは「彼女の視線。この視線が私たちが映画をつくる動機だ」とゲリンが言っていることで、これってぼくにはどうしてもシネフィル以外には受けなくていいから、と暗に言っているように思えてしまう。

(*思えてしまう、じゃなくて、明言してるのかもなあ・・・。「イニスフリー」なんかはモロにそういう作品な訳だし、個人的にも内輪度が沸点を越えた「影の列車」が一番好きな作品ですし。この点に関してアレコレ言うのはこの監督に関してはあまりフェアじゃないのかもしれません。が、しかし)。

「メカス×ゲリン往復書簡」を観て受けた一番の印象は、ゲリン=映画を通して人生を観る人、メカス=人生を通して映画を造る人、ということでしょうか。と言うと、なにやら不当にゲリンを貶しているようですが、要するにこの監督はお洒落でクレバーなオタクに見えるのです。そのことに関してぼくは極めて凡庸なレベルで反感を覚えてしまう。ゲリンが自分の旅を題材に「ゲスト」という題の作品を撮っているのが象徴的で、かなり暴力的な括りになりますが、ゲリンは世界の「招待客」で、メカスは「亡命者」、というスタンスの違いもあるのではないかと思います。

メカスのエピソードがなんでもありでスノビズムやら老いでさえ優雅に魅せるのに対し、ゲリンのエピソードの日本を撮ったパートは、3.11より小津の話が先に来て、なおかつずっと重要度の高い事柄として語られているように思えるあたり、素直に嫌悪を覚えます。東京のサラリーマンを撮って、「私が彼らを撮るのはここが小津の国だからです」とか言われるとやはりイラッとする。こういう優先順位の付け方のありようって、人のことは全然言えないんですが、見ていてあまり気分がいいものではないし、なにより結果として映像の持つ情報量自体が狭められているように見えます。たとえば、ラストの「小津の墓がある北鎌倉の墓地を撮った、墓石の上で蟻が餌を運ぶシーン」なんて、色々と解釈することのできる美しい箇所なんですが、やっぱりシネアストとしてこの映像を撮りたかったから撮ったんだろうなあ、というのが先に立つ気がして乗れないし、その分映像の持つ多義性ーここではたとえば鎮魂や生命賛歌といった要素ーがいくらか後退しているようにも思います(逆に乗れる人にはこの上ない至福の時間になるのだろうなとも思いますが)。

一方、メカスの最後のエピソードでは、メカスがジム・ジャームッシュと夕飯の話(話自体は、イタ飯屋に関する割と感じ悪い話)をするのですが、こちらは話してる相手がジャームッシュだとわからなくても面白いんです。老人とこのだいぶ年下のちょっと怖い雰囲気の男性との関係性は曖昧にぼかされている。年齢差を考えると親しげに交わされる会話はなにやら異様に思えるけれど、血縁関係があるようにも見えなくて、ユートピア的な親密さの感覚が前面に出ている反面、妙に胡散臭くもあり・・・。と、考えるほど世界が豊かに広がっていくような感覚があります。「いや、それジャームッシュだから」と種明かしされても魅力が減じるどころか更にひとつ付け足されるような不思議な強さがこちらにはある。世界を映画ネタにするゲリンと、映画ネタを世界にしてしまうメカス。

とはいえ、自分の脳が明らかにオタクのそれである、ということを考えるにつけー勿論、ゲリンのように才能やセンスがあると言っているのではなく、ここで言っているのはあくまでも物の見方の傾向のことー、ゲリン作品を観ない訳にはいかないような気がして足繁く映画祭に赴いてしまいますし、そのせいでこの文章自体、出来の悪い冗談のように見えるのだろうかと思うと、なにやらぞっとしないのではありますが。